生存報告 地震から41時間経過 2018.09.07
2018年 09月 08日
曇り、夕方より一時雨。
※今回のブログは節電を呼びかけられているので、PCからでは無くスマートフォンで執筆しています。
2018年9月6日、午前3:07。
北海道は観測史上初となる震度7の大地震に襲われた。
私は6日の午前1:30に仕事を終了し入浴。2:30に寝室へ戻り、睡眠までの数十分しか無い貴重なリラックスタイムを過ごしているところであった。
普段は3:00から4:00に入浴することが多いのだが、朝から運転免許切り替え予定のため、この日に限っていつもより早い時間に入浴していたのだ。
あと数分で眠ろうと思ったところで急遽停電となる。
「あれ?何かの原因でブレーカーが落ちたのかな?」と思い、玄関に設置されているブレーカーを確認しにいったところで一時的に電気が復活。
そしてホッとした瞬間。気持ちの悪い揺れと共に再び停電となった。
この瞬間、釧路では無いどこかで大きな地震があったことを悟る。「釧路では無い。でも確実にどこかで大きな揺れが!」と思い、津波のことを考えて眠っていた両親を大声で起こす。とにかく逃げる準備を!
父はすぐに起きたが、母は仕事の疲労なのか、なかなか起きない。
とにかく服を着ないとと思い、暗闇の中で身体をぶつけながら自分の部屋へ戻る。丁度部屋に入ったタイミングでスマートフォンから「北海道で震度6強!」と緊急情報が入る。
この時点ではどこが震源地かなんて分からない。とにかく津波の心配をして、スマートフォンの明かりを頼りに身支度をする。母親はまだ寝ぼけているようで、再び布団の中に入ってしまった。
「とにかく情報が欲しい!」停電でテレビも付かないのでスマートフォンからの情報が全てだ。
とりあえず胆振方面で大地震と言うことが分かった。また、内陸の震源地で津波の心配も少ないと言うことも分かった。
津波が無いと言うことで少しだけ落ち着き、FacebookやTwitterで知りうる限りの情報を入手する。だが、様々な情報が飛び交うのでどれも信ぴょう性が薄い… どれが正しいのか私なりに見極めながら、「停電が長引く」「スマートフォンの電波も数時間後に無くなる可能性がある」と言うことが分かった。
更には釧路よりも札幌の方がダメージが大きいと言うことも分かったので、札幌に住む従兄弟にラインを飛ばす。
幸い無事なようだが、家の中は地震でグチャグチャ。同じく停電もしていることが分かった。
この辺りで、私の住む釧路だけでは無く北海道の全域で停電している可能性があると言うことが分かった。
5:00。
スマートフォンが無く、インターネットも全く使わない両親に知りうる限りの全ての情報を伝え、今のうちに食料を確保する必要があるとの結論に至った。
近くのコンビニへ走る。
コンビニも同様に停電していたが、何とか食料品は売ってくれた。数個のオニギリと3本のスポーツ飲料を購入。この時点で既に品薄であった。
家に帰ると強烈な睡魔が襲ってくる。「早く次の手を打たなければ」と思いながらも睡魔に負け2時間近く眠ってしまった…
8:00起床。
たった2時間の間で事態は更に深刻になっていた。
深夜得た情報の通り、スマートフォンの電波が無くなり、FacebookやTwitterなど全ての情報共有が不可能となった。唯一、携帯ラジオはあったのだが、ラジオから流れて来る情報は震源地付近の事や札幌が大変な事になっているとの情報ばかり… こちら釧路の情報はほぼ全く流れてこなかった。
水道の水圧も弱まり断水の恐れも出てきた。だが、どこで給水ができるのか、いつ電気が復旧するのか何もかもが全く分からない状態であった。陸の孤島となっている。
これからの事を考え、母を車に乗せて近くのドラッグストアで出来る限りの飲料水などを買おうとするのだが…
9:00開店だが、開店から10分程しか経っていない状態で既に駐車場は満車。駐車用のラインを引いてない場所にも車が溢れている。何とか隅っこに停めるのだが、お店の玄関から遥か先まで人が並び、とても買い物ができる状態では無かった。泣く泣く帰宅。
釧路の中心部から外れた人の少ない場所でもこのような状態だったので、市内では更にパニック状態になっているであろうと予想する。
家に帰るがとにかく何も出来ない。情報も入って来ないし、情報を発信することもできない。
更には台風一過で気温が急上昇。仕方が無いので横になって、ただただ体力が消耗することを避けた。
父は水道会社勤務なので復旧作業に駆り出され、母はまだ事態が呑み込めていないのか、家の掃除をはじめた。いつ大きな余震が来てもおかしくないし、今は掃除をするよりも少しでも体力を温存してくれと頼んだのだが、逆に怒鳴られてしまい、それ以上は何も言うことが出来なかった… 母はインターネットはおろか、普段からニュース番組を視ることもほとんどしないので時々本当に心配になってしまう… 今回は特にそう思った……… 不確かな情報に振り回されるのは考えものだが、一切の情報を得ないと言うのは母の子の私としては心配で仕方が無い。
私は早朝に購入した4つのオニギリのうち1つを食べ、ウトウトしながら時が過ぎて状態が好転することをひたすら待った。
トイレは簡易水洗(水の流れる汲み取り式)のため、換気のファンが停電で回らないので悪臭が廊下まで立ち込める。なので極力トイレにも行きたく無かった。
暑さに耐え、不安に耐え、悪臭にも耐え、もうろうとして時間すらも分からなくなろうとしていた時に、フッと目の前が明るくなった。
停電した際に消し忘れていた机のライトが点灯したのだ!
「電気が復旧した!!」
と思い急いでテレビのスイッチを入れる。
テレビが付いた!
時刻は深夜23:00を過ぎた直後であった。
テレビでは震源地近くや札幌の情報が次々と流れていたので、想像を絶する光景に目を疑った。
続いて数分後にスマートフォンの電波も復旧したので慌ててFacebookとTwitterをチェック。バッテリーも残り10%を切っていたので慌てて充電。
皆さんの投稿を見ると、この時点ではまだほとんどの場所が停電状態で、私と同じ釧路の中でも私の町内会が特別に早い復旧だったようで、皆さんの投稿は皆無に近い状態だった…
窓を開けてみてもほとんどの場所が真っ暗なまま。
停電が復旧する時は、まず初めに大規模病院等の近くからと聞いたことがあるが、町の主要施設が何も無い私の町内会が何故早い段階で復旧できたのかは未だに謎だが、とにかく復旧はした。だが、まだ誰とも連絡を取り合えない状態が続いた…
明かりが点くと、この1日半でオニギリ1つしか食べていなかったので猛烈にお腹が空いてきた。
収納庫を覗くと震災が起きる前に買っていたカップヌードルを発見。
安物のカップヌードルがこんなにも美味しく感じたのは初めてかもしれない…
最後の一滴の汁まで飲み切った。まだほとんどの場所が停電中なので、私だけ食べるのは申し訳無いと思ったのだが、食べれる時に食べておかないと、いつ再び巨大な余震がくるか分からないので必死に食べた。
お腹が満たされると一気に眠気が襲ってくる。
身内との連絡もつかないまま、不安の中で眠りについた…
9月7日。
不安の中で朝を迎える。
仕事もできる状態では無いし、ガソリンもほとんど残っていないので無駄な外出もできない。電波の復旧した札幌の従兄弟と細かい情報をやり取りしていたらあっと言う間に正午となった。
この時点でまだ釧路では大半の場所が停電中らしく、Facebookでの安否確認もパラパラ程度であった。
週末は野球の試合だったのだが、この状態で出来る訳も無く相手チームの代表さんと連絡が取れたので残念ながら中止に…
少しずつ冷静さを取り戻してきたのでテレビでの報道を視ながら大きな疑問が湧いてきた。
NHKはともかくとして、民放のお昼の情報系番組が地震についての報道を完全に後回し!
モー娘の元メンバーの逮捕や体操協会のニュースが優先で、少しでもライフラインの現状を知りたい地震関連の報道がいつまで経っても始まらない。(番組後半で少し流れ始めたが…)
これには流石に怒りを覚えたね。
そりゃあテレビ局さんは視聴率第一主義だし色々な大人の事情があるのは分かる。
ただ、これ程の大きな地震だし、NHKだけの情報では足りない部分が沢山ある。震源地だけが全てでは無く、全道各地で深刻な停電と物流の滞りが起きており、震源地以外の地元の情報がとにかく知りたいのだ。
東京で同じ規模の地震が起きたら100%この報道しかしないはず。北海道は所詮他人事。結局は日本の端で起きた「二の次程度のニュース」ですよ。飲酒運転とか体操のこととか、悪いけど、後日危機が去った後にゆっくり報道すればいいじゃん!
このことを書いていたら怒りが収まらないのでこの辺りで止めておくが…
お昼過ぎのテレビを視ていても得るものが無かったので外を歩いて散策することにした。
自宅前はヒマワリが寂しそうに咲いていた。
自家菜園の小さなハウスではキュウリとチソ(シソ)がそれなりに成長していた。その気になれば2~3日分の食料になりそうだ。
外の畑は7月の長雨でほとんどが枯れて収穫できない状態なのだが、辛うじて少量のイモを採ることができた。まだ成長途中だが緊急事態なので仕方が無い。
これも家族3人で節約すれば2~3日は食べることができそうだ。
続いて信号やコンビニの様子を見て来ることにする。
コンビニは営業していなかった。
写真に写ってる車も「もしかしたら」に期待して来たようだが残念そうに引き返していた。
信号は夕方の時点でまだ半分以上が通電していなかった。国道の信号でもこのような感じ。
交差点は警察官もいない状態で、車が譲り合いながら通行していた。
こんな中でもどこかのオジサンがランニングをしていたので、少しだけほっこりした気分になった(笑) 今日のブログ唯一の笑い。
この他、国道沿いの郵便局は電気をかなり間引いた上で営業を再開していた。ATMも恐らく生きていると思われる。ガソリンスタンドは電気こそ付いていたが、営業はしていなかった。
17:00頃に自宅へ戻ると、家に入るのを待つかのように雨が降り出した。
暗くなってきたので電気を点ける。
節電を求める報道が何度もなされていたので、いつもの半分に間引いて点灯した。
正直、かなり暗いがとりあえず手元は見えると言ったところ。
他の大半の世帯は停電中だし、私だけが贅沢をする気分にはとてもなれなかった。
PCの電源も落としているし、部屋も暗いのでとても絵の仕事ができる状態では無い。そもそも精神的にも描けるような状態では無い。
現在F10号の絵を1週間で3枚描かなくてはいけない状態であったが、このような現状の上に提携先の本州の額縁店から配送中の額縁も地震の影響でまだ届いていないので、実質的に期日までの納品が無理な状態となった。これは(今だから言うが)美術協会から頼まれていた作品だったので、色々な意味でかなりのチャンスだったんだけどな… そもそも作品が必要とならないかもしれないし、これでは白紙状態である…
夕食は冷蔵庫に残っていた腐りそうな魚を食べて終了。
部屋に色々な方と様々な情報のやり取りをしながら23:00。皆さんも心配してくださっているので「せめてブログだけでも更新しよう」と思い今に至る。
本当にやることが無いのでとっても長い文章となってしまった(苦笑)
明日(9月8日)からは、まだ食糧事情とガソリン事情は回復しないだろうが出来る範囲でできることを開始していこうと思う。全てが白紙状態なのでどこから手を付けていけば良いのか分からないが…
この半日の間に多数の方から「松本さんは何が必要ですか?」と質問を戴いた。
現状として、まずは正確な情報。そして食料とガソリン。これが第一です。次は医薬品。
そして次に必ず訪れるであろうことが深刻な資金不足。
震災になると(少なくとも私の)絵は売れません。当然です。絵よりも食料の方が生きていくために必要ですから!
現時点でも資金難なのに、今以上に資金難となるのは目に見えています。
もし、北海道外でこのブログをご覧になって、松本に少しでも協力をしたいと言う方がいらっしゃれば、お願いですから何かの作品を買ってください。配送部門が復活したら直ちに作品は発送致します。
(普段はこのような表現は格好も悪いし、何よりいやらしく感じてしまうので極力使わないようにしているのですが、今回だけは切実なので「お願いですから買ってください」とハッキリ書かせて戴きました。)
地元の北海道では当分の間に渡って絵画もポストカード等のグッズも売れないでしょうから、今の時点で正直に怯えています。家が倒壊した訳でも無いので保険が下りる訳でも無く、ただただピンチの状態です…
長くなり過ぎましたので、今日のブログはこんなところで終わろうと思います。
生存報告と今必要なものを、できる限り正直に書きました。
再び停電とならない限り、ブログはなるべく短期間で更新していこうと思います。
※個展の撤去作業についてのブログはもう少し落ち着いたら投稿します。
では、皆さんもどうかご無事で。
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2018年9月6日、午前3:07。
北海道は観測史上初となる震度7の大地震に襲われた。
私は6日の午前1:30に仕事を終了し入浴。2:30に寝室へ戻り、睡眠までの数十分しか無い貴重なリラックスタイムを過ごしているところであった。
普段は3:00から4:00に入浴することが多いのだが、朝から運転免許切り替え予定のため、この日に限っていつもより早い時間に入浴していたのだ。
あと数分で眠ろうと思ったところで急遽停電となる。
「あれ?何かの原因でブレーカーが落ちたのかな?」と思い、玄関に設置されているブレーカーを確認しにいったところで一時的に電気が復活。
そしてホッとした瞬間。気持ちの悪い揺れと共に再び停電となった。
この瞬間、釧路では無いどこかで大きな地震があったことを悟る。「釧路では無い。でも確実にどこかで大きな揺れが!」と思い、津波のことを考えて眠っていた両親を大声で起こす。とにかく逃げる準備を!
父はすぐに起きたが、母は仕事の疲労なのか、なかなか起きない。
とにかく服を着ないとと思い、暗闇の中で身体をぶつけながら自分の部屋へ戻る。丁度部屋に入ったタイミングでスマートフォンから「北海道で震度6強!」と緊急情報が入る。
この時点ではどこが震源地かなんて分からない。とにかく津波の心配をして、スマートフォンの明かりを頼りに身支度をする。母親はまだ寝ぼけているようで、再び布団の中に入ってしまった。
「とにかく情報が欲しい!」停電でテレビも付かないのでスマートフォンからの情報が全てだ。
とりあえず胆振方面で大地震と言うことが分かった。また、内陸の震源地で津波の心配も少ないと言うことも分かった。
津波が無いと言うことで少しだけ落ち着き、FacebookやTwitterで知りうる限りの情報を入手する。だが、様々な情報が飛び交うのでどれも信ぴょう性が薄い… どれが正しいのか私なりに見極めながら、「停電が長引く」「スマートフォンの電波も数時間後に無くなる可能性がある」と言うことが分かった。
更には釧路よりも札幌の方がダメージが大きいと言うことも分かったので、札幌に住む従兄弟にラインを飛ばす。
幸い無事なようだが、家の中は地震でグチャグチャ。同じく停電もしていることが分かった。
この辺りで、私の住む釧路だけでは無く北海道の全域で停電している可能性があると言うことが分かった。
5:00。
スマートフォンが無く、インターネットも全く使わない両親に知りうる限りの全ての情報を伝え、今のうちに食料を確保する必要があるとの結論に至った。
近くのコンビニへ走る。
コンビニも同様に停電していたが、何とか食料品は売ってくれた。数個のオニギリと3本のスポーツ飲料を購入。この時点で既に品薄であった。
家に帰ると強烈な睡魔が襲ってくる。「早く次の手を打たなければ」と思いながらも睡魔に負け2時間近く眠ってしまった…
8:00起床。
たった2時間の間で事態は更に深刻になっていた。
深夜得た情報の通り、スマートフォンの電波が無くなり、FacebookやTwitterなど全ての情報共有が不可能となった。唯一、携帯ラジオはあったのだが、ラジオから流れて来る情報は震源地付近の事や札幌が大変な事になっているとの情報ばかり… こちら釧路の情報はほぼ全く流れてこなかった。
水道の水圧も弱まり断水の恐れも出てきた。だが、どこで給水ができるのか、いつ電気が復旧するのか何もかもが全く分からない状態であった。陸の孤島となっている。
これからの事を考え、母を車に乗せて近くのドラッグストアで出来る限りの飲料水などを買おうとするのだが…
9:00開店だが、開店から10分程しか経っていない状態で既に駐車場は満車。駐車用のラインを引いてない場所にも車が溢れている。何とか隅っこに停めるのだが、お店の玄関から遥か先まで人が並び、とても買い物ができる状態では無かった。泣く泣く帰宅。
釧路の中心部から外れた人の少ない場所でもこのような状態だったので、市内では更にパニック状態になっているであろうと予想する。
家に帰るがとにかく何も出来ない。情報も入って来ないし、情報を発信することもできない。
更には台風一過で気温が急上昇。仕方が無いので横になって、ただただ体力が消耗することを避けた。
父は水道会社勤務なので復旧作業に駆り出され、母はまだ事態が呑み込めていないのか、家の掃除をはじめた。いつ大きな余震が来てもおかしくないし、今は掃除をするよりも少しでも体力を温存してくれと頼んだのだが、逆に怒鳴られてしまい、それ以上は何も言うことが出来なかった… 母はインターネットはおろか、普段からニュース番組を視ることもほとんどしないので時々本当に心配になってしまう… 今回は特にそう思った……… 不確かな情報に振り回されるのは考えものだが、一切の情報を得ないと言うのは母の子の私としては心配で仕方が無い。
私は早朝に購入した4つのオニギリのうち1つを食べ、ウトウトしながら時が過ぎて状態が好転することをひたすら待った。
トイレは簡易水洗(水の流れる汲み取り式)のため、換気のファンが停電で回らないので悪臭が廊下まで立ち込める。なので極力トイレにも行きたく無かった。
暑さに耐え、不安に耐え、悪臭にも耐え、もうろうとして時間すらも分からなくなろうとしていた時に、フッと目の前が明るくなった。
停電した際に消し忘れていた机のライトが点灯したのだ!
「電気が復旧した!!」
と思い急いでテレビのスイッチを入れる。
テレビでは震源地近くや札幌の情報が次々と流れていたので、想像を絶する光景に目を疑った。
続いて数分後にスマートフォンの電波も復旧したので慌ててFacebookとTwitterをチェック。バッテリーも残り10%を切っていたので慌てて充電。
皆さんの投稿を見ると、この時点ではまだほとんどの場所が停電状態で、私と同じ釧路の中でも私の町内会が特別に早い復旧だったようで、皆さんの投稿は皆無に近い状態だった…
窓を開けてみてもほとんどの場所が真っ暗なまま。
停電が復旧する時は、まず初めに大規模病院等の近くからと聞いたことがあるが、町の主要施設が何も無い私の町内会が何故早い段階で復旧できたのかは未だに謎だが、とにかく復旧はした。だが、まだ誰とも連絡を取り合えない状態が続いた…
明かりが点くと、この1日半でオニギリ1つしか食べていなかったので猛烈にお腹が空いてきた。
収納庫を覗くと震災が起きる前に買っていたカップヌードルを発見。
最後の一滴の汁まで飲み切った。まだほとんどの場所が停電中なので、私だけ食べるのは申し訳無いと思ったのだが、食べれる時に食べておかないと、いつ再び巨大な余震がくるか分からないので必死に食べた。
お腹が満たされると一気に眠気が襲ってくる。
身内との連絡もつかないまま、不安の中で眠りについた…
9月7日。
不安の中で朝を迎える。
仕事もできる状態では無いし、ガソリンもほとんど残っていないので無駄な外出もできない。電波の復旧した札幌の従兄弟と細かい情報をやり取りしていたらあっと言う間に正午となった。
この時点でまだ釧路では大半の場所が停電中らしく、Facebookでの安否確認もパラパラ程度であった。
週末は野球の試合だったのだが、この状態で出来る訳も無く相手チームの代表さんと連絡が取れたので残念ながら中止に…
少しずつ冷静さを取り戻してきたのでテレビでの報道を視ながら大きな疑問が湧いてきた。
NHKはともかくとして、民放のお昼の情報系番組が地震についての報道を完全に後回し!
モー娘の元メンバーの逮捕や体操協会のニュースが優先で、少しでもライフラインの現状を知りたい地震関連の報道がいつまで経っても始まらない。(番組後半で少し流れ始めたが…)
これには流石に怒りを覚えたね。
そりゃあテレビ局さんは視聴率第一主義だし色々な大人の事情があるのは分かる。
ただ、これ程の大きな地震だし、NHKだけの情報では足りない部分が沢山ある。震源地だけが全てでは無く、全道各地で深刻な停電と物流の滞りが起きており、震源地以外の地元の情報がとにかく知りたいのだ。
東京で同じ規模の地震が起きたら100%この報道しかしないはず。北海道は所詮他人事。結局は日本の端で起きた「二の次程度のニュース」ですよ。飲酒運転とか体操のこととか、悪いけど、後日危機が去った後にゆっくり報道すればいいじゃん!
このことを書いていたら怒りが収まらないのでこの辺りで止めておくが…
お昼過ぎのテレビを視ていても得るものが無かったので外を歩いて散策することにした。
自宅前はヒマワリが寂しそうに咲いていた。
続いて信号やコンビニの様子を見て来ることにする。
写真に写ってる車も「もしかしたら」に期待して来たようだが残念そうに引き返していた。
信号は夕方の時点でまだ半分以上が通電していなかった。国道の信号でもこのような感じ。
こんな中でもどこかのオジサンがランニングをしていたので、少しだけほっこりした気分になった(笑) 今日のブログ唯一の笑い。
この他、国道沿いの郵便局は電気をかなり間引いた上で営業を再開していた。ATMも恐らく生きていると思われる。ガソリンスタンドは電気こそ付いていたが、営業はしていなかった。
17:00頃に自宅へ戻ると、家に入るのを待つかのように雨が降り出した。
暗くなってきたので電気を点ける。
節電を求める報道が何度もなされていたので、いつもの半分に間引いて点灯した。
他の大半の世帯は停電中だし、私だけが贅沢をする気分にはとてもなれなかった。
PCの電源も落としているし、部屋も暗いのでとても絵の仕事ができる状態では無い。そもそも精神的にも描けるような状態では無い。
現在F10号の絵を1週間で3枚描かなくてはいけない状態であったが、このような現状の上に提携先の本州の額縁店から配送中の額縁も地震の影響でまだ届いていないので、実質的に期日までの納品が無理な状態となった。これは(今だから言うが)美術協会から頼まれていた作品だったので、色々な意味でかなりのチャンスだったんだけどな… そもそも作品が必要とならないかもしれないし、これでは白紙状態である…
夕食は冷蔵庫に残っていた腐りそうな魚を食べて終了。
部屋に色々な方と様々な情報のやり取りをしながら23:00。皆さんも心配してくださっているので「せめてブログだけでも更新しよう」と思い今に至る。
本当にやることが無いのでとっても長い文章となってしまった(苦笑)
明日(9月8日)からは、まだ食糧事情とガソリン事情は回復しないだろうが出来る範囲でできることを開始していこうと思う。全てが白紙状態なのでどこから手を付けていけば良いのか分からないが…
この半日の間に多数の方から「松本さんは何が必要ですか?」と質問を戴いた。
現状として、まずは正確な情報。そして食料とガソリン。これが第一です。次は医薬品。
そして次に必ず訪れるであろうことが深刻な資金不足。
震災になると(少なくとも私の)絵は売れません。当然です。絵よりも食料の方が生きていくために必要ですから!
現時点でも資金難なのに、今以上に資金難となるのは目に見えています。
もし、北海道外でこのブログをご覧になって、松本に少しでも協力をしたいと言う方がいらっしゃれば、お願いですから何かの作品を買ってください。配送部門が復活したら直ちに作品は発送致します。
(普段はこのような表現は格好も悪いし、何よりいやらしく感じてしまうので極力使わないようにしているのですが、今回だけは切実なので「お願いですから買ってください」とハッキリ書かせて戴きました。)
地元の北海道では当分の間に渡って絵画もポストカード等のグッズも売れないでしょうから、今の時点で正直に怯えています。家が倒壊した訳でも無いので保険が下りる訳でも無く、ただただピンチの状態です…
長くなり過ぎましたので、今日のブログはこんなところで終わろうと思います。
生存報告と今必要なものを、できる限り正直に書きました。
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by naokiblog
| 2018-09-08 03:14
| 地震・災害関連
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