野球を引退して➁ 2018.12.20

晴れ。

ギックリ腰から一週間。まだまだ腰は激痛だが可動域はかなり回復し、日常の動きはほぼ全て通常通りに行えるまでになった。あとは痛みが全て消えて仕事に集中できるようになる日が早く来ることを願ってます!

今年も残すところあと10日。昨年もかなり頑張ったつもりだったが、昨年とは比べ物にならない程に忙しい一年であった。毎年恒例の「一年を振り返るブログ」は、もう数日したら改めて書こうと思っている。


今日は一昨日のブログで書ききれなかった、今年で選手として引退をした野球について振り返るブログの後編である。別にプロ野球選手になったわけでも無いので大げさなのだが、野球は私にとってそれくらい命を懸けてきたスポーツなのでしっかりまとめようと思った。

気になった方は前回の①(前編)から読んでみてください。


高校野球を引退・卒業した私は2003年3月に札幌へ引っ越し、漫画を学べる専門学校へ入学をした。なぜその学校にしたかというと、漫画を学べるだけではなく部活動で野球部があったからであった。パニック障害を高校野球で発症し野球の夢を諦めた私であったが、心の底のどこかで諦めきれてなかったのだ。

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「漫画と野球を両立できる!」とウキウキしながら入学をした私。しかし、学校側から伝えられたのは予想と全く違うものであった…

「松本君の野球に対する気持ちは分かった。ただ、ウチの学校は漫画学科だけは野球部に入ることは許可できないんだ。」

衝撃だった! 要は漫画学科は数ある学科の中でもずば抜けてスパルタ教育で、部活動に入ることが許されていなかったのだ! そんな馬鹿な……

それでも熱意は通じたらしく、硬式野球のクラブチームとして全国的にも大変に実績のある「札幌ホーネッツ」を紹介してくださった。その後すぐにホーネッツの監督さんとやりとりをしたのだが、クラブチームである上に強豪で遠征も多く、専門学校生のお小遣いではとても払いきれないような月謝や遠征費が必要であったため泣く泣くホーネッツ入団も諦めた。監督さんは私のバッティングに興味を持ってくださったのに本当に勿体なかった…(あくまで15年前のお話です。今は昔のチームの金銭事情とは違うと思います。)

途方に暮れた私だが、野球への熱い思いは捨てることは出来ず、何を思ったのか漫画学科のクラスメートの男子達に声をかけて、なんと漫画学科を中心とした草野球チームを立ち上げてしまったのである! 「漫画学科は部活動禁止」と言われているのに、当時の松本は反逆者にでもなりたかったのだろうか(笑)

でも、不思議と人が集まってくれて、経験者はわずか5~6名ほどだったのだがクラスの4分の3程の男子生徒が参加してくれて、女子生徒の数名はマネージャーとなり、皆で休みや放課後に練習をして本当に試合をしてしまうところまでチームは成長することができたのだ。

このブログを読んでくださっている多くの方がご存知かもしれないが、結局私はパニック障害が悪化し専門学校を自主退学して釧路に戻ってしまったため、チームも少しずつ空中分解してしまい2年ほどで解散という形となってしまった。ただ、この時の経験は後に生きてくることになった。


釧路に帰った私は、漫画の面でも野球の面でも再び途方に暮れることとなった。

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父の後輩が当時釧路屈指の強豪企業チームで全国大会でも実績を残している濱谷建設(現在は廃部)でプレーしていたつてがあり、体調が安定している日は練習に参加させてもらったりもしていた。ただ、重病人の私をベンチ入りさせてもらうことは人数も多く不可能なので、野球をやるには他のチームに入る必要があった。

再びつてを探し、先輩の先輩が釧路町のチームでプレーしているという情報を聞き、頼み込んで病人の私だが何とかチームに入れてくれることができた。

そこで数年プレーし、パニック障害が少し良くなったところで、20歳より活動を始めていた絵画と初連載が終了した漫画の修行の意味も籠めて再び札幌へ移住をした。

ただ、札幌には野球のつてが釧路以上に無いので、困り果てた末、漫画家の師匠が少し野球経験があったので監督になって戴き、漫画家の先輩や後輩も仲間に入れて残りのメンバーはネットを中心に募集し「札幌ギネス」というチームを結成した。

結成年度は素人も多く1勝もすることができなかったのだが、甲子園経験者や六大学野球出身者が次々と入団し、気が付いてみれば年間勝率は8割、ちょっとした大会では優勝も珍しくない強いチームに成長をした。私もほぼ毎試合ピッチャーとして登板し、安定して投げ続けることができた。リーグで2年連続の優秀選手賞も戴くことができたり、高校時代が打撃のピークだったことに対して、2012年前後は投手としてのピークを通過することができた。

しかし、再びパニック障害が悪化し釧路へ戻ることに。


流石にこの時は野球を引退しようと考えていたのだが、春のセンバツ甲子園などを見ていると野球をやっていない自分に対して何度も涙が流れてきて「もう少しだけ頑張りたい!」と思い20歳前後でお世話になった釧路町のチームにお願いをして再びそこで少しだけプレーをすることになった。

ただ、このままではいけないと思うことが私の中で沢山あって、更には私の人生で生涯残る愚行だと思っているのだが、わずかな期間であるが再び札幌へ移住し直ぐに釧路へ戻るという出来事があり、もう流石に釧路町のチームへ戻ることは申し訳無くて出来なかった上に、年齢も30代半ばが近付いてきたこともあったので「野球人生の最後にもう一花だけ咲かせたい」と思い昨年の春に立ち上げたチームが現在の「ネクサス」であった。

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もう他のチームに移ったりウロチョロするつもりは一切無かったし、この釧路でせっかく作ったチームで行けるところまで行ってやろうと思っていた。

ピッチャーの私は変化球こそまだまだ投げる自信はあったのだが、肩も肘も既に壊しているためスピードも落ち、絵の仕事による視力の低下で昔のようなバッティングも全然できない状態であった。

それでも野球人生の最後に「40歳まで現役を続けたい」と思って昨シーズンを終えたのだが…


今年に入り状況は一転。

個展を中心とした絵の仕事が次々と入り、正直もうチャンスは無いだろうなと思っていた漫画で久しぶりとなる連載のお仕事も戴き、プロの絵描きとして14年やってきた中でダントツに一番忙しい1年間となった。

野球同様に命を懸けるつもりで取り組んできた絵の世界で結果が出ることは本望なのだが、それは同時に野球人生にケジメを付けなければならない瞬間でもあった。

今まではプロと言っても仕事に隙間が沢山あったから野球に打ち込むこともできたのだ。

しかし昨年の秋ごろから。特に今年に入ってからは9月の地震と大停電で数日仕事が出来なかった時を除くと、わずかに3日間しか休んでいない状態で、とても野球選手として身体を作る状況では無い日々が続いた。


絵画のチャンスもありがたいのだが、それ以上に漫画の連載チャンスなんて私のような漫画の世界で大きな結果を残すことができなかった者としては年齢的にもラストチャンスと思っているので、意地でもこのチャンスを物にするしか無いし、この漫画連載が決まったゴールデンウィークで「野球選手は今年までにしよう」と結論を出すことしかできなかった。

シーズン前半でチームメイトに余計な心配をかけさせることは一切できないし、したくも無かったので、引退発表はシーズン終盤にすることとなった。


そして今シーズン最後の練習日。試合形式の練習で私はライトを守ることになった。引退試合の代わりと考えている。

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25年の野球人生のうち18年近くはピッチャーをやってきたのだが、小学校の野球同好会で最初に守ったポジションは実は「ライト」であった。

皆の前で泣くようなことはしなかったが、個人的にはこのライトを守った15分くらいは心の中で込み上げる想いがあった。冷静なフリをして対応したけどね(笑)


5月の段階で「おそらく選手は今年までです。」と昔から付き合いのある方を中心に、何名にもお話をする機会があったのだが、野球人生に対して皆さんから感想を求められるので必ずこう返すようにした。


「未練はあっても悔いは無いです。」


この気持ちが全て。

パニック障害にならなけば本気でプロ野球選手になりたかった!

甲子園へ行きたかった!

高卒後は、プロは無理でも社会人で選手として全国大会へ行きたかった!

でも全て叶わなかった。

だから未練は沢山あるんです(笑) でも、これ以上はどうすることもできない。全国大会向けの身体を作るには仕事を横に置いてトレーニング一筋で日常を送らなくてはいけない。今ようやく波に乗りつつある、野球と同じくもう一つの夢であった漫画家と画家の仕事を疎かにしてチャンスを逃すようなことをすれば、それこそ全てが本末転倒である。ケジメをつけるしかないのだ。

それに沢山投げたし沢山打った。野球人生の終わりごろにパニック障害が完治したのは皮肉としか言いようがないが、もう一切の悔いは無いです。これからは野球に注いできたエネルギーを全て絵に注いで、本業で更にステップアップを目指します!


とは言ったものの、私がチームを立ち上げておきながらわずか2年で完全にチームを去るのはあまりにも身勝手。もう少し固めなければならない地盤もある。

あと1年か2年かは判らないが、もうしばらくはチーム代表として裏からチームを支えて公式戦でも恥をかかないくらいの状態にはしたいとい思っている。そこで全てを託したところで、キレイさっぱり野球の世界からは足を洗うつもりです。

「趣味として出来る範囲で野球に参加すれば?」とのお声も時々頂くのだが、命を懸けてきた競技なので「時間がある時の趣味程度」として考えることがどうしてもできないのだ… 自分がここまで真剣にプレーしてきた25年に対しても自分自身に失礼なこととなってしまう。だからキレイさっぱり足を洗います。野球が大好きなことには変わり無いから、今後も高校野球やプロ野球を観に球場へは行くけどね(笑)

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最後に…

私の生まれた頃は釧路の社会人チームだけで300、もしくはそれ以上あったと聞いております。しかし今は多く見積もっても30前後しかチームが無いそうです。10分の1って、言葉が無いですね…

学生野球もまた然り。小中学校は数えきれないほど、高校野球でも私が高校生時代の支部予選で25校近く出場していたのに対し、今は連合チームを含めても12~15校ほど。当時は部員数的にマンモス校だった学校も次々と部員不足となり部が休部となったり、大会に出場できたとしても連合チームでやっとといった状態がスタンダードになりつつあります。

札幌のような大都会は大きなダメージが無いのかもしれませんが、釧路をはじめ地方チームは競技自体が存続の危機にあると言っても過言ではないと思います。


野球に命を懸けてきた身としては寂しくて悲しくて仕方がありません。

実は現在の「ネクサス」を作った理由は私自身がプレーしたかっただけでは無く、「野球をやりたい人間の受け皿になりたい」という気持ちもあったのです。

札幌でチームを作った時から既に感じていたことなのですが、私を含めて「野球がやりたいのに入れるチームがない!」「野球がやりたいのに入り方が分からない」という悩みを抱えていたプレーヤー志望者が沢山いたのです。

ただ残念なことに、釧路のような地方は会社の仲間で作ったチームが大変に多く、私のようにフリーな立場に居る人間が野球をする隙間が無くなっています。

同時に、釧路は社会人野球ではネクサスくらいしかオフィシャルサイトを所持しているチームが無く、バッティングセンターのような施設にも社会人の選手募集広告を見ることは皆無に等しく、せっかくやりたい人は沢山いるのに仲間内でしかチームに入れないような仕組みとなっています。


そのことを長年感じていましたので、ネクサスの専用サイトを立ち上げ、年齢やブランクに関わらず選手を募集したところまだ2年目にも関わらずチームメンバーは20名以上。しかもシーズン中はほぼ毎週のように入団希望者がメッセージをくださり、申し訳ありませんがお断りを続けている状態にあります。

これが現実だと思います。

300チーム以上が30チームになったのは、少子化だったり年長者が引退をしたり、競技の多様化で野球から離れていった人も沢山いるのですが、本当は野球をしたいという人がまだまだ沢山いるので、クラブチームを主軸にチーム数だって本当はもっとあっても良いのでは?と考えてしまうのです。


偉そうなことを言える立場では無いのは100も200も承知なのですが、私が選手を引退したとはいえ、まだ「野球人」であるうちにできる最後の仕事は地元の野球のすそ野をもう一度広げることではないかと思っています。

来シーズン、少人数ではありますが野球をやりたい人達のためにも、改めて選手募集をしていきます。

そんな想いの詰まったチームなので将来は本気で全道・全国へ羽ばたいて欲しいと心から願っています。


何はともあれ野球選手としての松本直樹はこれにて終了。
25年間、本当に本当にありがとうございました!

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※写真は札幌時代に優秀選手賞を戴いた頃のものから。



次回のブログは近日中に釧路湿原美術館を取材してきた件について書こうと検討しています。

そのあとに一年間を振り返るブログを書く予定です。久しぶりに短期間でブログをアップする日が続いていきます。


今年も残すところいよいよ10日!もうひと踏ん張り全力投球です!
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by naokiblog | 2018-12-21 00:49 | Trackback | Comments(0)

画家・漫画家のM.ナオキ(本名:松本直樹)が、自分の作品を紹介したり温泉や旅のことを書いています。Webコミック雑誌「てんてる」にてVTuber虹河ラキと北海道を旅する漫画「ひょうひょう!」連載中。


by 画家活動時:松本直樹 漫画家活動時:M.ナオキ
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